公演時期 | 10/17→11/1 |
会場 | 東京芸術劇場 中ホール |
作 | 大沢直行 |
演出 | 三宅裕司 |
上演台本 | 野坂実 |
あらすじアイドル(ウソヤン)に夢中の引きこもりの子供たち。 その子供たちとうまく関係を結べない親たち。 ある日、引きこもっていた子供たちはある特殊能力を持つ「ステルスボーイ」となるが、 悪を企む組織にその特殊能力を目当てに拉致されてしまう・・・ (パンフレットより一部抜粋) 感想今回は、劇団SET創立30周年記念公演で、 前回、前々回の「昭和クエスト」 「任侠侠るねっさんす」に続く、 「教育再生三部作」最終章。 う~む。 オープニングはネットの話しで、 しかも映像としてアニメ萌えキャラも出てきたりと、 導入部分はこれから始まる期待感が高く、すごく良かったのですが、 本編の内容はイマイチでした・・・ なにより一番思うことは、劇団SET創立30周年記念公演ということが強く、 中堅以上、ベテランにもたくさん配役をし出番を増やしていたため、 物語の内容が薄っぺらくなってしまった気がします。 本来であればもっとコンパクトにまとまる話が、やたらに長くなる。 物語の流れのテンポも悪い。 観ていて必要の無い役も多かった。 ベテランの方のための記念公演重視であることが、明白すぎるほど明白。 おそらく、古くからSETを観ている人にしてみれば、 とても感慨深いと思えるのだが、 若手、中堅が伸び悩み(中堅は辞める人が多い) ベテランがまだまだずっと居すわっている状況を見ると、 若い観客には受け入れがたい雰囲気がある。 昔からの固定客重視もわかるが、 新しい客層を入れないと厳しいような気がします。 ひきこもりの子供たちの親。 その子供たちが多数行方不明となり、ネット心中の疑惑。 いつもは子供たちに無関心な親たちも、突然親身になって行方を探す。 知り合いの漁船でベーリング海まで乗り出すことに・・・ そもそも引きこもりの子供たちが拉致される理由は、 ゲームやネット依存に特化してしまった結果、 本来退化してしまうはずの脳の組織が、 一部の子供にだけ特異な脳が発現されたことによる。 それがステルス脳。 イルカやクジラが、人間たちに自分たちの存在を隠すため、特殊な脳波を出し、 人間の脳に直接働きかけて、自身の姿を認識させないようにする(ことができるとの解釈) つまりは、人間にしてみると、目の前にいる人間の姿を認識させない能力。 消えたのではなく、消えた・・・と相手の脳に思わせてしまう。 ドラえもんの道具で言えば、「石ころぼうし」みたいなものですね。 (この帽子を被ると、姿は見えるものの周りから一切認識されない。 まるで道端に無数に存在する、誰も気に留めない石のように) そのステルス脳をさらに進化させ、 人間の脳に直接幻を見せてしまうことも可能。 それを利用して、世界を征服しようとする組織がある・・・みたい感じです。 (こんな話しだったような、違ってたらすみません) かなり突拍子もない話しで、強引ではある。 SET特有のエンターテイメントなのですが、 今回は意外とストレートプレイ、話しが長い。 SETによくある、アドリブかアドリブでないかわからないボケとツッコミがあるのですが、 今回、私はちょっと笑えなかった。 さすがについていけない。 私の友人や、回りの観客は笑っていましたが、 SET好きという意味合いがあるからかな? 普通の一般の観客からしてみると、 この笑いはクドクドしすぎるし、疲れる。 さすがにそろそろ改めないといけない時期なのかもしれない。 バンドを組み、ようやくのことでCDデビュー。 その目前にして、 ユニットのボーカルとバンドメンバーとの間に予期せぬ子供ができてしまい、 デビュー断念・・・という苦い経験と、そのことに対する子供への態度。 自分たちの経済状況と、子供への愛情、 このアンバランスな話しは現実問題でも多数ありますよね。 ここはけっこう皮肉的なメッセージ。 いつもの三宅裕司、小倉久寛のかけあいも、観ている私にしてみればだれてしまう。 あまり笑えない。 あまりの長さに、白土直子が切れるのですが、これは脚本通り。 でもそれが真実であり、ふたりともわかっていることなのかもしれない。 あくまでSETファン向けのやりとりですし。 今回一番笑ったところといえば、 野添義弘のできそこないのファミリーミュージカルのところかな? 「狼なんて怖くない~」 ここはめっちゃ面白かった。 それから突然の大音響。 なにかと思ったら、小倉の携帯の着信音、というのも面白かったです。 海の男の子供のネタバレとかあるのかな~と思いましたが、 ここは何もなくスルーなんですね。残念だな~ さらに後半は生バンドあり。 たしかに迫力あるし、物凄く素晴らしい。 機械で流す音楽と、生バンドでの音楽とでは雲泥の差。 そこで歌い、ダンスをするということは、すごくぜいたくだもの。 久保いろは、池辺愛のモエヤン(舞台上ではウソヤン) そして良田麻美が加わると、やはり「東京メッツ」を思い出してしまいます。 懐かしすぎる・・・ そんな久保いろは、SETの舞台は初ですが、 当然、実力ありますからね。演技も全く無問題。 前々からアドリブがてらのMC力は高かったので心配はしていませんでしたが、 本当に昔から舞台女優をやっていたと思えるほどの出来ばえ。 しかも出番が多いです。池辺愛よりも多い。 モエヤン自体、コメディアンが先行ではなく、 エンターテイナーとしての二人がいて、コメディをやっているわけですから。 三宅裕司、小倉久寛、モエヤンを抜きににして、 ひきこもりの3人がややメインと言える。 子供のひとり、出口哲也の演技はじつに素晴らしい。 ひきこもりの部分、そしてステルスボーイへと変身したあとの殺陣。 背も高く、ガタイもいいから、殺陣は本当に見応えあります。 ひきこもりのひとり、河本千明も熱演。 この役はたしかに難しいし、自分を捨てないとできない。 言葉にして自分をうまく表現できないという役柄。 だかこそ映像を使って・・・というネタバレに繋がります。 栗原功平も3人のうちの引きこもりのひとりですが、 どちらかというと一番普通な感じ。 他の二人の個性が強すぎるので、あえてちょっと普通な性格を入れたのでしょうね。 もちろん、その「普通っぽさ」を演じることが難しいのですが。 ルックスもかっこいいし、ちょっと久保いろはといい感じに(笑) そんなこんなで、平林靖子。 基本、アンサンブルなのでたくさんは登場しませんが、 最後の整列した合唱の場面で、奥ではありますがセンター近くに登場。 これはすぐにわかりました。 う~ん、かなり女性的な雰囲気で、アゴのラインがスッキリしている。 かなり痩せましたね。 葉っぱのフレディのベン役の男っぽさは微塵もありません。 これからさらに素敵な女優になってほしいな。 未来に希望が無く、ネット心中にもほいほいついていく子供たち。 とにかく死にたい。 ウソヤンが、それに対して語りかけます。 「死んだ気になればいい。 自分の過去が嫌なら、それを無くしてゼロにして、 今、新たに始めればいい。 そうすれば、新たな道を進んだ時に、 つらくて悲しい過去の出来事も、未来への糧であったと理解できる」 このたとえ、私は好きですね。 つらくて悲しくて消し去りたい過去も、自分の都合のよいように解釈する。 こういった考えは必要だもの。 総括「任侠るねっさんす」が良過ぎたのかな? ネットやら、エコやら、環境やら、 現代社会におけるいろいろな問題を散りばめていますが、 最終的な結論として「親子愛」が大事ということでしょう。 意味合いはわかるけれど、感動的な話にはもっていけなかった気がします。 物語としてのつかながりが中途半端で、私としてはイマイチ面白味に欠けました。 ※敬称略 |