ミュージカルの聖地に挑む~演出家・藤田俊太郎のロンドン進出(再放送)を見た感想
蜷川幸雄の愛弟子である藤田俊太郎
がロンドンで、ロンドンの俳優、スタッフとともに、ミュージカルを創りあげるというもの。
日本人は通訳を除いて自分ひとり。
顔合わせの時に、出演者、スタッフとともにスライド写真。
演出プランを練るためにアメリカに行き、そこで感じたことを写真に撮っていた。
自分が感じた思いを全員で共有し、気持ちをひとつにして稽古に入る。
これは蜷川幸雄から学んだ方法論。
ちなみに語りの吉原光夫さんは、全く問題無しだ。
普通にNHKのナレーションをどんどんやってほしいと思う。
物語「violet」
25歳の女性バイオレットは幼いころ、薪割りをしていた父親の斧で、
顔に大きな傷を負い、人目をさけるように暮らしていた。
そんな彼女がテレビで、奇跡を起こす宣教師がいることを知り、
傷を治してもらおうと長距離バスで会いにいく。
途中、バスで乗り合わせた若い黒人兵、白人兵と親しくなり、
家で閉じこもっていては得られない様々な経験を重ねる。
そして旅と出会いとが、固い殻に覆われていた彼女の心を絶望から希望へと変えていく。
差別について演出家から話があるが、キャスト陣から意見が出てくる。
日本でなら、とりあえず演出家の思いによりそおうという空気が生まれるが、
ここではそうはならない。
自分の思いを演出家にもぶつけていく、そんな感じかな?
日本では無理でしょ。
それは普通に言えない。
でもロンドンの役者さんはどんどん言っていく。
文化の違いだな~
イギリスと日本で新作ミュージカルを共同制作し、
双方の国で上演しようという計画。
スタッフはイギリスが、演出は日本が。
その演出に藤田俊太郎氏に白羽の矢がたった。
稽古二日目。通常は本読みだが、立ち稽古開始
俳優たちにまず動いてもらい、その動きの指示をとおして、
演出意図や役柄をつかんでもらう。
藤田氏の日本のやり方だという。
日本であれば演出家の意図を忖度しながらとりあえず手さぐりで動いてみるが、
イギリスの俳優たちは、ひとつひとつ論理で納得しないと動かない。
→結果、イギリス制作サイドから申し出があり、稽古のやり方を少し変えてほしいとのこと。
長い話し合いの末、それを受け入れることに。
これはお国柄が出るから本当に難しいな~とつくづく思う。
結果テーブルワーク(セリフの背景やそこにこめられた心情を俳優たちと細かく議論しながら掘り下げていく作業)
そして立ち稽古へ。
これがイギリススタイル。
これまでの成果をイギリス側の幹部たちに披露→改善の余地がある
手厳しい~けどしゃーない。
しかもさらに大変なのは、イギリス側の制作サイドの演出家が登場し、
イギリス人の彼から見ると、セリフの解釈が浅いと思える箇所がいくつかあるという。
しかも彼がどんどん演出に関わっていく・・・
藤田氏は黙り込む。
いやいや、そりゃ言えないですよ。
しかもこの次のやりとりが、
「僕がやったところを見てどうだった?良くなったと思った?」
「もともと君は修正する気はなかったんでしょ?」
「でも、僕に修正を任せてくれた」
「それで良くなったでしょ?」
「それなら信用してよ」
「じゃあ、このやり方を続けようよ」
「僕が必ず支えてあげるから」
「これが信頼でしょ?」
「君を批判なんてしてないんだから」
そして、自分の演出に手直しがされていき、藤田氏も傷ついていく。
これだけ強く言われたら、何も言えなくなっちゃうな~
でも自分が演出を任せられているはずなのに。
自分の演出ではなくなってしまうのでは?
なんだか海外ドラマ「SMASH」そのものだ。
このドラマも演出家やら脚本家、プロデューサー、振付、音楽監督と、
ゴタゴタだらけで、なんとか完成していくという物語だった。
藤田俊太郎は初めは俳優として入門したが、全く芽が出ず演出に転向。
おそらく葛藤は絶対あったと思うが、そこからの努力の人。
まっ、努力しない人なんて誰もいませんけどね。
蜷川さんの演出助手なんて、それだけでも大変だったことが目に浮かぶ。
劇場を大幅に改造。
舞台があって客席がある通常のものから、
座席の一部を移動し、舞台をど真ん中に。
客席が舞台を両側から挟み込む。
そして舞台は回り舞台。
見ているだけで、わくわくする。
テクニカルリハーサル
俳優たちの動きを確認しながら、それと同時に照明や美術の仕込みもおこなう総合リハーサル。
日本は照明をある程度できた形で劇場の舞台稽古を始めるが、
イギリスでは、俳優と一緒にこの場で作っていく。
稽古場で固めた動きも、臨機応変に変えていく。
わずか3日間なので時間がない。
イギリスサイドの演出家のトムがだんどりよく出来上がっていく。
藤田氏は黙って見守るのみ。
「自分が演出した作品が演出できない。悔しい気持ちもあるが、いまそのエゴを出す必要はない。彼に感謝している」
なかなか言えませんよ、この言葉。
どれだけ悔しいか。その反面、感謝しているのか。
物凄く複雑な言葉。
蜷川幸雄の言葉
「自分を疑い、過去の自分に圧勝していくんだ」
「成功した瞬間があったら、それを疑え」
正直ここの場面は、番組制作としての印象操作っぽい感じも受けましたが、
ま~仕方ない。
プレビュー公演
一般客も見守る前で芝居を上演し、その反応も見極めながら最後の修正を加えていくもの。
一週間続く。
貪欲に少しでも良いものを作り出そうする、イギリス演劇界の伝統。
日本だとプレビュー公演はだいたい1日で、
修正もあるだろうけど、興行的にもったいないから安く見てもらおう~という意味合いもあるかな?
ケースバイケースですが。
さすがに1週間プレビュー公演はないですけど。
エンディングを変える
ここだけは、彼の最後のこだわりだったんでしょうね。
ここだけは修正したいと。
とても良い演出だと思う。
冒頭に戻るのは、ワクワク感があっていい。
私は率直に言って好き。
傷
主人公の顔の傷にひっかけ、藤田氏は自分がこのカンパニーの傷なんじゃないのか?と思っていた。
でも全くそんなことはなかった。
傷だって思い込んでいたのは自分だった。
この文言はうますぎるわけだが、妙に納得する部分もある。
というか、ほんと日本人ひとりですからね。
そのプレッシャーたるや想像に難くない。
本公演
全部を観られたけではないが、とても面白そう。
役者が歌も演技もうまいというのもあるが。
主人公の子供時代の少女もけっこう登場するんですよね。
顔の傷はあえてメーキャップで作らず、
傷があるという前提で観客の想像力に委ねるやり方。
ミュージカルナンバーがひじょうにいい。
社会風刺的なものもあるけれど、何か楽しい雰囲気。
明るい未来、希望が感じられる。
ちなみに批評家はみんな4星(おそらく5星中の)で驚いた。
私のサイトも5星設定だから同じスタイル(0.5の半星はありますが)
日本で公演があったらぜひ観劇したい。
まとめ
おそらくは、蜷川さんのような昭和の演出家タイプはもう生まれないでしょう。
時代が変わった。
ちょっと気が早いが「令和」の演出家がこれから出てくる。
そして「令和」の役者も登場する。
そうなった時の舞台演劇がどうなるのか?
そこもまた楽しみではある。