俳優私塾POLYPHONIC第5回公演『燕のいる駅』

満足度
公演時期 2014年1月14日〜19日
会場 渋谷LE DECO 4F
脚本 土田英生
演出 石丸さち子

あらすじ
春。燕は好んで人家や人の集まる場所に巣を作ります。
海に浮かぶ埋め立て地に作られたテーマパークの玄関、
日本村四番駅にも、また燕がやってきました。
柔らな陽射し、目に眩しい新緑、うららかでのどかな日本の風景。
──いつもの風景、変わりない日常に、突然訪れた不穏な時間。
人々は争うように「ここ」を去り、
「ここ」にはもう電車はやってこない。
人々は、ただただ「ここ」で待つ。
不穏な雲が広がる空の下、
のんびりと、あるいは、素っ頓狂に……。
(公式サイトより引用)
観劇感想
これは難しい舞台。

戯曲ですね。
プロ思考の演出なので、
高度すぎて私にもなかなか読み取ることが難しいです。
かなり読解力が必要となる。
観る方も舞台好きでないと。
話の内容も、あえて曖昧になっているのもそのためか。
であるこその、基本。
エンターテイメントの舞台作りをする前の王道的な作品とも言える。
誰もがここを通らなければならない、なんて思います。

ストレートプレイ。
話的には、とある駅のホームで駅員やキオスクの店員、
列車の待ち合わせをしているお客との物語。

男の駅員二人に、キオスクの女性店員
少女、漫才師の男二人、そして挙動不審な男。
以上、登場人物は7人。

外を見ると、パンダのような、熊のような、雲が大きく広がっていて、
時間が経つとともに、それが大きく広がっていく。
伝え聞くところによると、
耳が遠くなり、眠気が襲うと、死んでしまうらしい。

駅のホームのとある場所に、ツバメが巣を作っており、
巣には数匹のヒナがいた。
その姿を観察することが駅員の高島啓治にとって、
ひとつの幸せであった。
が、じつはすでに親鳥によって、
ヒナは巣から下へと落とされていたのであった。
そのことを高島啓治はまだ知らない・・・

そもそもこの怪しげな雲が、
空気感染による毒の雲なのか?
どこぞの国の兵器なのか?
その正体は明かされないまま。
登場人物たちも、もしかして自分たちが最後の生き残りで、
これが最後なのでは?
なんてことも、冗談まじりに話している・・・が内心は不安。

音楽はピアノ演奏のみ。
生なのか、録音かはわかりません。

柱にツバメの画が貼ってあり、
時に倒れたツバメの画に変化も・・・

まーいろいろと難しい。
エンターテイメント性の舞台でありませんから、
普通のお話としてのコメディを演出。
客席では笑っている方はたくさんいるのですが、
申し訳ない、私はひとつも笑うことができませんでした。
何が面白いのかサッパリわかりませんでした。
それだけ日常生活におけるコメディ演出は難しい。

そもそもここは、日本国4番という区分け。
特区みたいなものであろうか?
日本人でない人は、必ずバッジをつけなければならず、
バッジの色によっても区別化されている。
(一番良い色が赤で、駅員のローレンコ三郎もそのひとり)
日本における「外国人 排斥」の意味合いにも、リンクする。
とはいえ、現実問題として、
ヨーロッパでさえ、移民政策が転換期をむかえてますからね。
「外国人 排斥」のデモはどんどん大きくなるばかり。
少子高齢化問題、労働力不足として、
移民政策は日本でも考えていますが、
それをしていたスウェーデンでさえ、デモが起こるほど。
高齢者に優しい政策、老後が安心。
その引き換えに消費税も20%以上。
しかし、それを目当ての移民、生活保護、
さらには働きの場が失われる等、問題は山積み。
まっ、日本とは人口の比率が違うのでいちがいには言えませんが。

高齢化社会についてヨーロッパに学べと、
最近まで言っていたにもかかわらず、
今となっては報道も縮小。
嫌なことは伝えないテレビのニュース。

ちょっと話しずれましたが、
この舞台の根幹もじつはこの部分があります。
日本人ではない人がバッジをつけるところなんて、
ナチスがユダヤ人にバッジをつけたことを印象づけていますから。

物語自体は、何気ない会話から、淡々と進んでいきますが、
後半はじょじょに人が減っていきます。
この場に留まるべきか、意を決して離れるべきかの選択。
極限状態に追い込まれての人との繋がり、本音。
ストーリー性というよりも、人間ひとりひとりにピックアップ。


気になった役者は・・・
佐伯静香 戸村静香役
大人の女性としての魅力がたっぷり。
離婚を経験して、さらに恋愛を・・・という感がよく出ている。
明るい雰囲気もすごくいい。
自然というか、普通にいそうな感じの役を、
素直に演じてくれました。

高島啓治 小栗剛
一番穏やかで優しい役柄。
であるために、天然で不器用で鈍感。
戸村静香が自分を好いていることも気づかず、
ローレンコ三郎の赤バッジに憧れていたなんていう、
ノーテンキなことも言ってしまう。
後半にいろいろと気づいてくるが、後の祭り。
そしてツバメの話へ。
この流れの含みはいろいろと考えさせられました。
現実にある話しではないのだけれど、
自然とその流れにのってしまいました。
彼の素朴な雰囲気ゆえか?

齋藤穂高 ローレンコ三郎役
赤バッジをつけることを強要されている、日本人ではない駅員。
それゆえ、後半の高島啓治が平然と、
「赤バッジをつけることが羨ましかった」発言の時の態度が一番印象深い。
もしかしたら、ここが舞台の肝のひとつかもしれません。
小さい頃からの親友同士、普段は普通に会話をしているものの、
何も知らない高島啓治の呆れるほどの天然さに、
さすがのローレンコ三郎も本音をぶちまける。
私はここが一番好き。

高城拓哉 鈴木茂彦役
漫才コンビのツッコミ役。
ある意味、落ち着いた舞台の中では一番異端な部分なので、
演じ方が難しい。
他の役者は、全員ゆったりとしたテンポですから。
ほんと突拍子もない役柄なので、
どの程度の抑え方、逆にツッコミとか、バランスが非常に難しい。
早口で一番違和感ある役どころだけれど、
それをうまくかもしだしていた。
ほんと頑張ったと思う。

金子大介 本多行政役
漫才コンビのボケ役。
相手のツッコミ役がかなり独特なため、
ボケ役の彼は地味な役柄となってしまう。
ただ、ボソッと放つ、まさにボケのツッコミは面白かったです。
引いた役というのも、逆に難しい。
自分を押し殺さなければなりませんから。

大日向裕実 下河部友紀役
セリフ遣いがなめらかと言うよりかは落ち着いた喋り方。
彼女は、高音で軽い声質ではないので非常に重きがおける。
だから、彼女の声質だけで観客を引き込むことができる。
ここは素直に凄い。
声で引きつけるってあるんですよね。
まさに彼女はそれ。
セリフ回しと合わさって、自分だけの空間を作っている。
ひとり芝居も十分にできる。
いつか中村裕香里と対決してほしいな。
この二人を組み合わせたら、そうとう面白くなる・・・予感。

森田浩一郎 佐々木孝則役
挙動不審で、何を考えているかわからない、
極度な人見知りな役。
いや、本当にそう見えました。
ここは素直にすごいと思う。
挙動不審って簡単に言うけれど、目つきとか態度とか雰囲気とか、
いろいろと細かい部分の演技が必要になる。
自然でない演技ですから。
極度の人見知りでの面白さは、私には伝わりませんでした。
ここは申し訳ない。
私の感受性の低さ、理解力の低さゆえ。

総括
正直、面白味があるお話ではないけれど、
人間味あふれる人の個性を楽しむ感じでしょうか?
題名である「燕のいる駅」も、ネタバレしてますが、そこにも引っかかる。
舞台好きな人にはじっくり観られる舞台ですが、
一般の人には、どう受け止められるか、ちょっと困惑するかも。
(敬称略)
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