初めに
久々に女優のインタビュー記事を再開。舞台女優 大日向裕実。元々は子役で、タップダンスが得意な女の子。それが、年を重ねるごとに演技の幅を広げていきます。
個人プロフィール
── それではよろしくお願いいたします。簡単なプロフィールを。
大日向裕実(おおひなた ひろみ)1990年10月9日生まれ。血液型はO型です。出身地はハワイで、3歳ぐらいに日本に帰りました。現在は東京です。
── 好きな食べ物、苦手な食べ物は。
好きな食べ物は「もやし」です。あとは「プリン」が好きですね。「すあま」も。それから、「ポン酢」も好きです。特にゆずポン。ギョーザもお酢のみで食べます。最近は、なんでもお酢をかけていますね。苦手な食べ物は「生クリームっぽいもの」ショートケーキやシフォンケーキの上にのっているようなものです。それと「コーヒーゼリー」
── コーヒーゼリー?シロップをかけてもダメ?
コーヒーが固形になっている意味がわからない(笑)なぜ固めちゃったのか。コーヒー自体は飲めるんですけど。
── 本は読みますか?
「ハリーポッターシリーズ」が好きです。台本に関係ある本も読みます。マンガは「よつばと!」「聖☆おにいさん」、最近になって「ガラスの仮面」を読み出しました。
── 特技は?
タップダンスです。一番最初に始めたレッスンでした。
── うん?今までの舞台で披露したことありました?
得意なのに、舞台では披露する機会がなかなか。始めた当初は、フェスティバルとかで披露したぐらいでした。クラシックバレエは高校に入ってから。小1の時にタップや演技、バレエっぽいことを始めました。
── 運動神経は良さそう。
棒高跳びは中学の時、学年2位でした。でも跳び箱は苦手でした。ぶつかりそうで。それからサーフィンもします。でも、パドリングをすると疲れちゃうので、波に追い越されます(笑)1時間サーフィンをしているうちの30分は、他の人を眺めています。
── 趣味は?
お散歩。ひと駅歩いたりしています。歩くの大好きです。
── 好きな番組は?
ディズニーチャンネルの「フィニアスとファーブ」かものはしが可愛くて、可愛くて。
── 自分の性格の長所、短所は?
長所は誰にでも話しかけてみようとするところ。短所は小心者。でも、それを越えて話しかけてます。それから、何か行動をする前に、すごく考える。嫌な方向にばかり考えてしまう。すごくネガティブ。歌のレッスンでも、最悪な状況を考えておきます。「いろんなことを言われるだろうな」という覚悟をしておいて受けると、そこまでじゃなくて安心する。その方が心がホッとする。でも、なるべくポジティブになるよう頑張ります。
── 何か部活動はしていました?
高校の時にタップダンス部でした。殺陣部では部長もしてました。それから、先生に集まれって言われて、「はい今日から演劇部」って言われました(笑)成績表の部活動の欄には、しっかり演劇部って書かれてました。
── 殺陣部に入り、舞台関係で何か役にたちましたか?
精神的な面ですかね。武士道とか。
── マイブームってありますか?
フェイシャル・パックにハマッテいます。2日に1回。特に「マドモアゼルギロティーヌ」は客席が近く、ドーランも塗っているので、肌荒れには気をつけたいと思い、何かちゃんとやらなきゃと思い、毎日パックして、栄養ドリンクやコラーゲンとか、そうとう頑張りました。
── 目指している女優は?
泉ピン子さんは「本当に凄いな」と、本当に思いました。新しく映画になった「おしん」を見たのですが、上戸彩さんが本当に綺麗。そして、泉ピン子さんが出てきた瞬間に、大泣きしてしまいました。いいセリフとか、いいシーンというわけではなく、あまりにも存在感がすごいのと、安定している演技に涙が止まらなくなりました。
── 舞台をしていて、印象に残っているセリフとかありますか?
世田谷シルク「kon-kon,昔話」で、私のセリフではないんですけど、タクアンのお友達のオツウの話し(ツルの恩返し)をおじさんにするのですが、その時に返した「純粋だな」と言われたこと。今でも心にジーンときます。それから「人間っていいものですね」というセリフ。キツネになって初めて人間の良さに気づきました。(タクアンは、キツネが人間に化けた姿)
TV番組出演
── 舞台以外、印象に残ったものは?
2000年のNHK「英語であそぼ」では、ケイン・コスギさんと共演していました。撮影も楽しかったし、ダンスも楽しかったです。2001年のフジテレビ「クラブTK」3クールレギュラーでした。小室哲哉さんとお仕事をさせていただきました。ゲストの方と一緒に踊っていました。とっても楽しかったです。2007年のNHK「夢みる惑星」は、もし、自分のお父さんとお母さんが、歌のお兄さんとお姉さんだったらという企画でした。そもそも幼い頃の自分の夢を企画したもの。自宅撮影。朝起きて、リビングを開けると、歌のお兄さんとお姉さんが、歌いながら朝御飯を作っていた。買い物を行くにも、行く先々でみんなが踊りだし、小さなミュージカルのようでした。
舞台「CHANCE」2001年11月18日
── 私にとっては伝説的な舞台 「CHANCE」 大日向裕実も初ミュージカル。
はい。初ミュージカルでした。「CHANCE」は舞台の世界を教えてもらいました。自主公演での上手下手等、舞台のいろはを教えていただいたのが、郡司行雄先生でした。主役の片桐麗役の宗形恵実ちゃんは、一緒にずっと特別レッスンを受けていて、主役ですごく嬉しかったです。
── スタジオのレッスン生、昌子役。
役をもらったメンバーが特別レッスンを受けたメンバーで、全員知っていたこともあって、その中でひとつの作品を作り上げることは、すごく新鮮でした。厳しく、つらい稽古だったけれど、楽しかったです。
── ダンスも厳しかった?
ダンスはめっちゃ厳しかったです。すごくハードでした。
── この時、 客席や通路で子供たちが・・・私は舞台になかなか集中できず。
私は初めてカーテンコールを受けて、舞台って楽しい〜!ってなりました。
「東京メッツ」2004年8月24日→26日 東京プリンスホテル公演
── リトルメッツではなく、いきなり東京メッツ。
最初はリトルのオーディションでした。二次か三次か最終審査で、私のほか数名だけが子役で、あとは大人ばかり。「同じ年齢の子がいな〜い」と驚きました。とにかくこの時は、オーディションが楽しかったです。もともとは勉強の意味合いも含めてのオーディションだったのですが、合格してビックリしました。二カ月で何十曲も覚えましたね。
── 私は、覚えていなくて申し訳ない。
この公演そのものが東京メッツのオーディションになっていて、人数が半分になって、その中で残って背番号をいただきました。
「東京メッツ」2004年12月30日 原宿アストロホール公演
── この時は、すごく印象に残っています。出番も多い。舞台の上手(客席から見て右)にいたのを今でもハッキリ。椅子に座ってツンケンしていました。それが、ダンスを始めて笑顔になる・・・という演出でしょう。
この時の印象としては、お客さんが近いということと、ライブスペースが初めてでした。メンバーの中でも、私と秋元麻衣ちゃんが一番年下。『DAN DAN DAN』の水玉衣裳が可愛くて、着るのが夢でした。「着れた〜!!」と思いました。嬉しかったです。秋元麻衣ちゃんと神岡実羅乃ちゃんの3人。オレンジの衣裳でした。この時、初めて背番号をもらいました。私は背番号が0。0にはビックリでした。なんで0なんだろうって。
── 当時は野球の背番号でも0は一般的。野球を知らない子は驚くかも。あくまで私の推論だけれど、当時の0は巨人の川相が有名だから、イメージ的にいうと小技が使える感じ?
そうなんですか?今、初めて知りました。背番号をひとりひとりもらう時に「えっ?0って?」言っちゃいました(笑)今でもハッキリ覚えています。野球も詳しくないので、0ってあるの?っていう感じでした。「0?0?0って番号?大丈夫なの?」なんてひとりで思ってました(笑)今でも0という数字は、自分の中で特別な数字です。
── MC力もついた?
「人生を何かにたとえるなら?」の質問に、「白いご飯」と答えました。「私、ご飯が好きなんですけど、そのまんまで食べても美味しいけれど、ふりかけとかあったほうが美味しくなりますし、人生も同じだと思います」って。
── その受け答え、他のメンバーからも絶賛されてました。私も覚えています。
あっ、そうか!やった!アフタートークもやってみたいです。みんな聞いてくれるのかな?
── 解散は残念でした。
メッツがあったからこそ、私の舞台活動がスタートした感じ。いつかは「Savior」を絶対やりたかったです。目指していました。